今日、大きく気付かされる記事をネットで見付けました。

それは人生相談のコーナーで、突然友達(仮にA子)から絶交を言い渡された20代半ばの女性(B子)が「私の何がいけなかったんでしょうか?」という質問に答えたものなのですが、

B子によると、A子とB子は高校の同級生で、A子は家庭環境に恵まれていなくて、その事で相談に良く乗っていた。時々、キツイことを言ったりもしたが、いつもA子の事を思ってアドバイスをしてきた。

二人の関係は高校卒業後、やや疎遠となり、大学卒業して社会人になってからはほとんど連絡を取らなくなったが、たまたま連絡をとる機会があって久しぶりに食事をしよう、ということで会った。

一緒に食事をしている間、A子の様子が変でB子は少し気になっていたが、数日後、A子から彼女の文面とは思えない激しい言葉のメールで絶交を言い渡された。「いい加減、あなたの上から目線の説教や自宅自慢はもうこりごり。今後一切あなたとは連絡は取りません」と。

B子は何をやらかしたのか? B子の質問からすると思い当たる節が全くない様子。

この人生相談の回答者は、「無意識の優越感」について指摘していました。自宅自慢をした記憶が全くないB子に対して、家庭環境のコンプレックスのあるA子は自慢をされた、と受け取り、親切なアドバイスのつもりのB子に対して、上から目線の説教と捉えるA子。

つまり、B子が親身になっていたつもりが、有難た迷惑、余計なお節介になっていたのです。また、アドバイスは常にA子からの相談から始まるのではなく、B子から「大変そうだけど大丈夫?」などという聞きだしによって始まっていたようで、心配するという形をとったマウンティング行為だったようです。しかも無意識の。

これを読んで私もハッとさせられました。例えば仕事上、家を売るとか借りるとかっていう割と大きなライフイベントに関わることがありますが、当然前向きな理由の方ばかりではない。経済的な理由、離婚、相続絡み、追い出しなどがあります。そんな時に、お気の毒という気持ちの裏に「無意識の優越感」はなかったかと。

高齢の方やご病気のある方、大きな問題を抱えた方と関わる(道を聞かれるとかそういう事でも)時に、いやらしい感情が混じっていなかったかどうか。

人間は他人と自分を比べて考える生き物ですが、それが「あの人のように頑張ろう」となれば良いのですが、そういうケースばかりとは限りません。

難しく、根深い問題ですが、今回の記事をきっかけに改めて自分を見つめ直す、いい機会になりました。

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